久々に長い記事になるらしい

まず、自分が善悪について喋る時の基準について。
大雑把に5段階評価すれば、
5.いたずらっ子ですら無い者
4.時折いたずらをするが、基本親切な者
3.結構いたずらをする者
2.万引き等の軽犯罪を行ったが、ある程度更正した者
1.罪の軽度に関わらず更正が望めない者
だろうか。
あくまで「このくらいの悪さ」というのであって、
犯罪をしていなくても程度次第で2になる事はある。
どうでもいいが自分は2
 
さて、本題に移ろうか。
ニコ動のコメント等でよくある物。
「リアルではいじめられてるんだからネットでは威張らせてやれよ」
 
さて、率直な感想はどんな物だろうか?
十数ヶ月前に初めてこんなコメントを見て、驚いた。
 
確かに対象者が「本人にも半分以上非のある」いじめ行為ならば、ある程度は賛同できるかもしれない。
が、そんないじめが世の中いくらあるのだろうか?
当然、2割も無いだろう。
実際いじめというのは、大半がいじめる側の人間による勝手な理由によって起こる物だし、僕もいじめの一被害者である。
 
いじめというのは、まず数人の'1'もしくは'2'によって発端が起こり、そこから全体の'1'、'2'('3')にいじめの流れが広まる。
(流れが広まる事が無い場合もある)
だいたい、教師による一度の説教等で'1'を除く人間はおおよそ反省する物だが、当然「更正の望めないもの」としたように、それでも反省しない人間がいる訳である。
反省しない、出来ないという事は、他の面でもほぼ間違い無く悪行の限りだろう。
「ほとんどの場所で」傍若無人に振舞っている'1'に対し、
「ネット等の一部で」傍若無人ないじめられる側の人間、
どちらが本当に批難されるべき存在だろうか?
後者は一応「被害者」なのである。被害者だから許されるという訳では無いが、少なくとも加害者よりはまだ守られるべき存在であるし、威張っている人間=いじめを受けている者、というような言い方が気に食わない。
多少飛躍しているかもしれないが、様々な理由から、この発言をする人間自身が'1'に相当するのでは無いのか、と考えている。


・ここまで


お正月が終わりましたね。
久しぶりに長い記事を書いたような気がしました。
普段通り、「歪んだ解釈、知識の元に形成されている持論」です。
実は全部頭の中では出来ているのですが、いつも推敲に時間がかかっています。言いたい事を分かりやすい文章にするのは難しいです。
さて、最後の「発言者自身が'1'」の文にある「様々な理由」を明記していませんが、
まず第一に「ああいう事を広める」という点です。
いじめの現場を知っている方ならよくご存知だと思いますが、いじめる側がよくやる事です。
例えば何らかのトラブルの時「こいつうざいからもう放っといた方がいいよ」等の発言がありますよね?それと同じ事です。
第二に「いじめられる者を見下している」という点です。
多少無理があるかもしれませんが、それは「騙される方が悪い」「殺される方が悪い」といった理論に直結すると思っています。
・・・というか、見下すって事は「いじめられる側が悪い」って思ってるって事なんですけどね。
第三に「第一、第二の点に気づいていない」という事。
多少無理がある理由だとは分かっていますが、自らの行動の汚点に気づけていないという点などで。
説明して分かっていただける範囲ではこのくらいでしょうか。
 
長々と語ってすいません;;